怒涛の日々 [高齢者とのくらし]
始まりから3週間が経ち 今は日常を取り戻しています。個人的メモです、とくに最初の一週間はよく覚えていないというかパニックというか、自分自身体調悪化する中 とにかく必死でした。今後のための記憶の整理とソネブロ時代から読んでくれている方の参考にもなればと。(長い文章なので気が向いたらどうぞ)
***
(これでもかなり割愛して書いています、話題の固有名詞は省略しています)
■それは父の異変から始まった
朝 父が大量の汗でビショビショでになりながら、自分で着替えができない状態だったので おかしいな?と思いながらも着替えを手伝いました。足取りはふらついていましたが食欲はありました。でも熱があったので最初は熱中症かと思い、ディサービスを休ませました。
しばし様子を見ていると咳もしていたので...そういえば昨夜の就寝中も咳をしてたような... もしかして?!
慌てて父を隔離し、家族全員マスク、消毒、自室避難、父に接触するのは私だけにしました。
布団に寝かせると、どんどん状態は悪くなっていくように見えました。
近所のかかりつけ医に電話したら「今日の発熱外来の予約枠はいっぱいなので他を当たってください」とのこと。
仕方がないので発熱相談センターに電話してみると 近隣の発熱外来を教えてくれて そこへ電話してみて下さいとのことでしたが、でもそれはネットで検索済みだったし、今さら電話したってもう当日診てもらえる医者などありませんし、あったとしても自家用車がないと無理な話です。
熱を出してうなってる体のでかい父を連れていくことは不可能でした。
明日の朝一番にかかりつけ医に電話して予約が取れればいいですが、つながらず予約枠が埋まってしまうことも考えられます。陽性なのかどうか早く判断してもらうことが大事です。父も母も高齢だし、しかも母は難病を抱えているので感染していたらそれこそ一大事........どうしたらいい?
検索してネットから往診ドクターに依頼することにしました、初めてやるのでドキドキしながら。
往診ドクターは夜10時頃来てくださいました。父の抗体検査の結果が陽性だったので、その場で家族全員検査してもらいました。結果は翌日の夜にSMSで届くということでしたが、実はこの時私はすでに喉が少しイガイガして少しだるさを感じていて.....気のせいだと自分に言い聞かせていました。
高齢の父は治療薬を処方されました。この夜高熱と咳でうなり声を出しながら寝ていました。夜中にトイレにたびたび起きるのですが、マスクなしで咳をまき散らす状況です。洗面所もそうですが、気が気じゃありませんでした。ゾーニングや消毒など、もうろうとした父にできるわけがなく、ただ母には感染しないよう自身で警戒してもらうほかありませんでした。
往診ドクターから保健所へ発生届けが提出されるので翌日以降保健所からの電話待ちです。
長い一日がこうして終わりました。
今まで娘や息子がウイルスを持ち込むことばかり想定していたけれど、この後分かったことですがデイサービスが震源地で まさか父から始まったとは思ってもみませんでした。。
■母の安全確保
次の日の夜 スマホに検査結果が来て 私と娘が陽性というものでした...ショック!!...イガイガはウソじゃなかったんだ...。しかも娘って、うそでしょ?今はケロッとしてるのに。それでも就活のことで毎日あれだけしゃべっていた息子と、一番心配だった母は陰性でよかった。母の陰性がわかったのですぐきょうだいにSOS。次の日の朝、弟の家で預かってもらうことになりました。。よかった...これでひとつ肩の荷がおりて父のことに集中できる。母は逃げるように弟の家に行きました。
父からの感染を恐れながら看病していた私はもはや同類、気持ちは楽になりましたが父の後を追うように私も体調がどんどん悪化していきました。
■悪化は急激に
悪くなりだしたら早いです。保健所から電話がきて、今後の観察についてあれこれ説明をされました。多分私は、父と自分のことがごっちゃになって、意識がもうろうとする中、返事だけしていたような気がします。健康観察をスマホのチャットを進められましたが、スマホは得意ではないし、状態が悪い中操作する余裕もなかったです。頭も混乱していたので電話での観察をお願いしました。
父が熱のせいで汗を大量にかき下着やパジャマがビショビショになるので、何度も着替えさせたり、具合が悪くても食欲だけはしっかりある(いいことだけど)ので 食事の用意をしたりしてゆっくり休めません。洗濯が山のようになってしまい、洗濯機をまわし、干す作業は陰性で引き籠り中の息子にラインでお願いしました。
私も体調が悪くなる中 父の看病でやることが多く、気がつけば自分の食事も忘れ 食欲もなくなって、3日くらいほとんど食べられなくなってしまい、スポーツ飲料とドリンクゼリーでしのぎました。保健所の方から水分を一日2リットルとるように言われました。無症状だと思っていた娘も私の後を追うようにどんどん悪化して、高熱と激しい咳き込みで何度か吐いていたようでした。
陽性がわかった次の日の夜、もう一度往診ドクターに来ていただいて、私と娘の薬を処方してもらいました。
薬といっても鎮痛薬や喉の炎症を抑えるとか咳止めとか一般的に風邪をひいた時にもらう薬です。
自宅療養とは 風邪をひいた時に処方される薬を飲んで耐えて、自力で体力が回復するのを待つというものです、
救急車を呼べるのは 何か(命の危険レベル)あった時。そんな不安の中で、
喉が剣山のようにイガイガして腫れ上がり 窒息するんじゃないか...そんな不安に襲われ、声がかれて声が出なくなり、上腕のリンパが盛り上がってピクピクして、寒気と熱とともに体中が痛くて、鼻が詰まって、咳が止まらなくて。ありとあらゆる症状が出ました。
■父の療養
高齢者ということもあり、サポートセンターから軽症高齢者の療養所の案内を受けました。これはありがたかった...これでやっと私も休める。。熱も微熱程度になっていたので自覚症状に乏しい父を療養所に行かせることができるか心配でした、しかも泊まりだし(普段のデイサービスさえ嫌がっているから)。。自分が病気にかかっている自覚もありませんし、何度説明してもすぐ忘れてしまいます。
「保健所で高齢の感染者の健康チェックがあって 迎えの車が来るから準備してくださいって」と父に言いました。
案の定、「なんで病気だって知ってるんだ!」「すぐ帰ってこれるのか?」など聞かれましたが、適当に答えてどうにか迎えのドクターカーに乗って療養所へ行ってもらいました。。
これで母も父も家からいなくなり、ようやく私は自分の体調のことだけに集中することができるようになりました。
■一週間だけの子供たちとの生活
父を療養所へ送ってからは、しばし平和?が訪れました。6年振りの父母のいない子供たちとの生活...と言ってもシェアハウスのような状態ですが(笑) そんな状況でも一番嬉しかったです。子供たちもきっと同じように感じていたのではないかな。
娘は熱と激しい咳が続き部屋でぐったりしていました。この頃たぶん健康サポートのラインでのやりとりをやめてしまっていたようでした。後で「なぜ続けなかったの?」と聞くと、「辛いのにやってらんない!それに向こうからはそれっきり何の応答もないから別に意味ない!」と。。"(-""-)"
息子は感染対策を徹底して、部屋に引きこもって、多分ずっと寝ていました(-_-;)。
でも三人でゾーニング対策はキッチリできたし、窓も全開して(網戸あり)とにかく全部屋換気に努め、食事は各自レトルトなど自分で用意し 自分の部屋で食べ 自分で食器を洗う を徹底しました。
食料品は役所から届いたものもありましたが、最近よく使っているネットスーパーを利用しました。
こんなことでもなければ実現しなかった、父母不在の日々。それぞれが部屋に引きこもりながらも 誰かいるというのは心強かったです。私は楽しむような気持でゆっくり過ごしました。
■父の帰宅
一週間後、父の療養が明けて帰宅することになり、妹が迎えに行ってくれることになりました。
でも父は妹のことはあまりよくわかっていなかったようでしたし、帰宅して数時間も経つと、もう療養所のことは覚えていませんでした。「俺をだまして何日も病院へ入れるなんて!」と怒られるかと思っていたけど そんな心配は不要でした。ヒゲが伸びて少し痩せた感じに見えました。まだ声枯れと咳が続いていましたが状態は安定していました。
(これでもかなり割愛して書いています、話題の固有名詞は省略しています)
■それは父の異変から始まった
朝 父が大量の汗でビショビショでになりながら、自分で着替えができない状態だったので おかしいな?と思いながらも着替えを手伝いました。足取りはふらついていましたが食欲はありました。でも熱があったので最初は熱中症かと思い、ディサービスを休ませました。
しばし様子を見ていると咳もしていたので...そういえば昨夜の就寝中も咳をしてたような... もしかして?!
慌てて父を隔離し、家族全員マスク、消毒、自室避難、父に接触するのは私だけにしました。
布団に寝かせると、どんどん状態は悪くなっていくように見えました。
近所のかかりつけ医に電話したら「今日の発熱外来の予約枠はいっぱいなので他を当たってください」とのこと。
仕方がないので発熱相談センターに電話してみると 近隣の発熱外来を教えてくれて そこへ電話してみて下さいとのことでしたが、でもそれはネットで検索済みだったし、今さら電話したってもう当日診てもらえる医者などありませんし、あったとしても自家用車がないと無理な話です。
熱を出してうなってる体のでかい父を連れていくことは不可能でした。
明日の朝一番にかかりつけ医に電話して予約が取れればいいですが、つながらず予約枠が埋まってしまうことも考えられます。陽性なのかどうか早く判断してもらうことが大事です。父も母も高齢だし、しかも母は難病を抱えているので感染していたらそれこそ一大事........どうしたらいい?
検索してネットから往診ドクターに依頼することにしました、初めてやるのでドキドキしながら。
往診ドクターは夜10時頃来てくださいました。父の抗体検査の結果が陽性だったので、その場で家族全員検査してもらいました。結果は翌日の夜にSMSで届くということでしたが、実はこの時私はすでに喉が少しイガイガして少しだるさを感じていて.....気のせいだと自分に言い聞かせていました。
高齢の父は治療薬を処方されました。この夜高熱と咳でうなり声を出しながら寝ていました。夜中にトイレにたびたび起きるのですが、マスクなしで咳をまき散らす状況です。洗面所もそうですが、気が気じゃありませんでした。ゾーニングや消毒など、もうろうとした父にできるわけがなく、ただ母には感染しないよう自身で警戒してもらうほかありませんでした。
往診ドクターから保健所へ発生届けが提出されるので翌日以降保健所からの電話待ちです。
長い一日がこうして終わりました。
今まで娘や息子がウイルスを持ち込むことばかり想定していたけれど、この後分かったことですがデイサービスが震源地で まさか父から始まったとは思ってもみませんでした。。
■母の安全確保
次の日の夜 スマホに検査結果が来て 私と娘が陽性というものでした...ショック!!...イガイガはウソじゃなかったんだ...。しかも娘って、うそでしょ?今はケロッとしてるのに。それでも就活のことで毎日あれだけしゃべっていた息子と、一番心配だった母は陰性でよかった。母の陰性がわかったのですぐきょうだいにSOS。次の日の朝、弟の家で預かってもらうことになりました。。よかった...これでひとつ肩の荷がおりて父のことに集中できる。母は逃げるように弟の家に行きました。
父からの感染を恐れながら看病していた私はもはや同類、気持ちは楽になりましたが父の後を追うように私も体調がどんどん悪化していきました。
■悪化は急激に
悪くなりだしたら早いです。保健所から電話がきて、今後の観察についてあれこれ説明をされました。多分私は、父と自分のことがごっちゃになって、意識がもうろうとする中、返事だけしていたような気がします。健康観察をスマホのチャットを進められましたが、スマホは得意ではないし、状態が悪い中操作する余裕もなかったです。頭も混乱していたので電話での観察をお願いしました。
父が熱のせいで汗を大量にかき下着やパジャマがビショビショになるので、何度も着替えさせたり、具合が悪くても食欲だけはしっかりある(いいことだけど)ので 食事の用意をしたりしてゆっくり休めません。洗濯が山のようになってしまい、洗濯機をまわし、干す作業は陰性で引き籠り中の息子にラインでお願いしました。
私も体調が悪くなる中 父の看病でやることが多く、気がつけば自分の食事も忘れ 食欲もなくなって、3日くらいほとんど食べられなくなってしまい、スポーツ飲料とドリンクゼリーでしのぎました。保健所の方から水分を一日2リットルとるように言われました。無症状だと思っていた娘も私の後を追うようにどんどん悪化して、高熱と激しい咳き込みで何度か吐いていたようでした。
陽性がわかった次の日の夜、もう一度往診ドクターに来ていただいて、私と娘の薬を処方してもらいました。
薬といっても鎮痛薬や喉の炎症を抑えるとか咳止めとか一般的に風邪をひいた時にもらう薬です。
自宅療養とは 風邪をひいた時に処方される薬を飲んで耐えて、自力で体力が回復するのを待つというものです、
救急車を呼べるのは 何か(命の危険レベル)あった時。そんな不安の中で、
喉が剣山のようにイガイガして腫れ上がり 窒息するんじゃないか...そんな不安に襲われ、声がかれて声が出なくなり、上腕のリンパが盛り上がってピクピクして、寒気と熱とともに体中が痛くて、鼻が詰まって、咳が止まらなくて。ありとあらゆる症状が出ました。
■父の療養
高齢者ということもあり、サポートセンターから軽症高齢者の療養所の案内を受けました。これはありがたかった...これでやっと私も休める。。熱も微熱程度になっていたので自覚症状に乏しい父を療養所に行かせることができるか心配でした、しかも泊まりだし(普段のデイサービスさえ嫌がっているから)。。自分が病気にかかっている自覚もありませんし、何度説明してもすぐ忘れてしまいます。
「保健所で高齢の感染者の健康チェックがあって 迎えの車が来るから準備してくださいって」と父に言いました。
案の定、「なんで病気だって知ってるんだ!」「すぐ帰ってこれるのか?」など聞かれましたが、適当に答えてどうにか迎えのドクターカーに乗って療養所へ行ってもらいました。。
これで母も父も家からいなくなり、ようやく私は自分の体調のことだけに集中することができるようになりました。
■一週間だけの子供たちとの生活
父を療養所へ送ってからは、しばし平和?が訪れました。6年振りの父母のいない子供たちとの生活...と言ってもシェアハウスのような状態ですが(笑) そんな状況でも一番嬉しかったです。子供たちもきっと同じように感じていたのではないかな。
娘は熱と激しい咳が続き部屋でぐったりしていました。この頃たぶん健康サポートのラインでのやりとりをやめてしまっていたようでした。後で「なぜ続けなかったの?」と聞くと、「辛いのにやってらんない!それに向こうからはそれっきり何の応答もないから別に意味ない!」と。。"(-""-)"
息子は感染対策を徹底して、部屋に引きこもって、多分ずっと寝ていました(-_-;)。
でも三人でゾーニング対策はキッチリできたし、窓も全開して(網戸あり)とにかく全部屋換気に努め、食事は各自レトルトなど自分で用意し 自分の部屋で食べ 自分で食器を洗う を徹底しました。
食料品は役所から届いたものもありましたが、最近よく使っているネットスーパーを利用しました。
こんなことでもなければ実現しなかった、父母不在の日々。それぞれが部屋に引きこもりながらも 誰かいるというのは心強かったです。私は楽しむような気持でゆっくり過ごしました。
■父の帰宅
一週間後、父の療養が明けて帰宅することになり、妹が迎えに行ってくれることになりました。
でも父は妹のことはあまりよくわかっていなかったようでしたし、帰宅して数時間も経つと、もう療養所のことは覚えていませんでした。「俺をだまして何日も病院へ入れるなんて!」と怒られるかと思っていたけど そんな心配は不要でした。ヒゲが伸びて少し痩せた感じに見えました。まだ声枯れと咳が続いていましたが状態は安定していました。
父の帰宅でゾーニング対策は終了になり、息子には念のため消毒とマスクを徹底してもらいました。
父は洗面所でうがいをする時 ガーーペッ!!って 思いっきりよくやるのですが...
聞こえると気分よくないし、汚いし、飛沫するしでやめて欲しいといつも思っていますが。。
相変わらず食欲は旺盛なので、時間通りに食事をする父のために食事作りの仕事が再開しました。
私は熱はもうありませんでしたが、声枯れや咳は続いていました。娘も咳が止まらずまだ苦しそうでした。
私の電話での療養サポートもこの頃終了になりました。体調悪化時はパニックになったりして心細かったので、やはり人の声を聞けるのは安心につながりました。
■母の帰宅
弟の家に避難していた母ですが、悠々自適な日々を送っていましたが、膀胱炎をおこして医者に行ったようです。
父帰宅の一報を弟嫁から聞いて 緊張の糸が切れたのか、弟嫁が買い物で不在中に私に電話をかけてきて、
「私はいつ帰れるの?早くしてよ!いつまでも厄介になっているわけにはいかないわよ!とにかく早く!!」
とヒステリックに言われ、私はちょっとブチ切れました。
「早くって言われても 私だって療養してるんだよ!お父さんが戻ってきてもまだ咳してるんだから。お父さんやお母さんの面倒を私ひとりでやれって言うの?こんな時だから 私たちきょうだいで協力し合ってやっているんじゃないの、それくらい解りなよ!」って言ってやりました(笑)。...まぁそうは言っても初めての息子宅でのお泊りは限界か?
いちお10日間の療養期間は終了になったけれど まだみんな咳が続いているし、医療データによるウィルスの残存率は0%ではないからもう2、3日泊ってて欲しかったけれど...帰りたいなら仕方ない、万が一何かあっても私は責任持たないよ。母はその翌日の朝にタクシーで飛んで帰ってきました(笑)
■いつもの日常へ
発症から約2週間後、全員が揃い怒涛の日々からようやくいつもの日常に戻りました。
3人とも声枯れと咳は続いていましたが、
娘は仕事へ復帰し、父母もディサービス通所を再開しました。
息子も体調変化もなく無事に過ごせました。
私は気がつけば体重が2kg減って、過去最低記録を更新し...ちょっと怖かったです。
そして今はそろそろ3週間が経過して、私はまだ喉の違和感と咳がまだ少しくすぶっていますが ようやく終息してきたかなって思えます。
父は洗面所でうがいをする時 ガーーペッ!!って 思いっきりよくやるのですが...
聞こえると気分よくないし、汚いし、飛沫するしでやめて欲しいといつも思っていますが。。
相変わらず食欲は旺盛なので、時間通りに食事をする父のために食事作りの仕事が再開しました。
私は熱はもうありませんでしたが、声枯れや咳は続いていました。娘も咳が止まらずまだ苦しそうでした。
私の電話での療養サポートもこの頃終了になりました。体調悪化時はパニックになったりして心細かったので、やはり人の声を聞けるのは安心につながりました。
■母の帰宅
弟の家に避難していた母ですが、悠々自適な日々を送っていましたが、膀胱炎をおこして医者に行ったようです。
父帰宅の一報を弟嫁から聞いて 緊張の糸が切れたのか、弟嫁が買い物で不在中に私に電話をかけてきて、
「私はいつ帰れるの?早くしてよ!いつまでも厄介になっているわけにはいかないわよ!とにかく早く!!」
とヒステリックに言われ、私はちょっとブチ切れました。
「早くって言われても 私だって療養してるんだよ!お父さんが戻ってきてもまだ咳してるんだから。お父さんやお母さんの面倒を私ひとりでやれって言うの?こんな時だから 私たちきょうだいで協力し合ってやっているんじゃないの、それくらい解りなよ!」って言ってやりました(笑)。...まぁそうは言っても初めての息子宅でのお泊りは限界か?
いちお10日間の療養期間は終了になったけれど まだみんな咳が続いているし、医療データによるウィルスの残存率は0%ではないからもう2、3日泊ってて欲しかったけれど...帰りたいなら仕方ない、万が一何かあっても私は責任持たないよ。母はその翌日の朝にタクシーで飛んで帰ってきました(笑)
■いつもの日常へ
発症から約2週間後、全員が揃い怒涛の日々からようやくいつもの日常に戻りました。
3人とも声枯れと咳は続いていましたが、
娘は仕事へ復帰し、父母もディサービス通所を再開しました。
息子も体調変化もなく無事に過ごせました。
私は気がつけば体重が2kg減って、過去最低記録を更新し...ちょっと怖かったです。
そして今はそろそろ3週間が経過して、私はまだ喉の違和感と咳がまだ少しくすぶっていますが ようやく終息してきたかなって思えます。
現在療養期間は短縮されていますが、やはり10日は必要な気がします。
無症状の方もいると聞きますが、少なくとも罹らないにこしたことないです。軽症と言われてもインフルよりつらく、不安要素が大きいです。この感染が、未来に何か悪さする可能性も否定できません。罹ってしまったのも運命。ワクチン接種していたから重症化にならずに済んだと思いたいし、家族が無事でいることを素直に受け止めたいです。
無症状の方もいると聞きますが、少なくとも罹らないにこしたことないです。軽症と言われてもインフルよりつらく、不安要素が大きいです。この感染が、未来に何か悪さする可能性も否定できません。罹ってしまったのも運命。ワクチン接種していたから重症化にならずに済んだと思いたいし、家族が無事でいることを素直に受け止めたいです。
誰も重症化にならなくて良かったですね。
ご家族がたくさんいると、特にめりーさんは世話をする側だから、
より一層大変なことになったのですね。
喉の違和感も早く治まると良いですね。
仕事場の人も何人か感染しています。私は今の所大丈夫ですが、
気を緩めずに気を付けないと!と改めて思いました。
by みち (2022-09-19 11:08)
ほんとに怒涛の二週間でやしたね。
ご高齢のご家族がいらっしゃると、人一倍大変でやすね。
ともあれ、最悪の事態にならなかったのが、不幸中の幸いでやしたね。
体重、二キロも減ってしまわれたのでやすね。
お疲れ様でやした。
これからゆっくり休まれてくださいでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2022-09-19 13:23)
大変でしたね。
デイサービスで感染したら、防ぎようがないです。
私の親戚も、家族全員陽性になりましたが、そこまで辛くはなかったようです。
お父さまも辛かったでしょうね。でも入院出来てよかったです。
本当にお疲れさまでした。
by リンさん (2022-09-19 17:18)
★みちさん
ありがとうございます。メールした時、実は療養中でした(笑)でも気分はよかったから^^
普段は食事も親と子世代はテーブルを分けてるし、歯磨き粉やコップも各自専用にしていました。
たぶん飛沫だと思います、だからマスクは大事です。
最初の頃は三密回避とかマスク必須って言ってたのに、いつのまにかゆるゆるになりました。
病原株が変わっても大事だと思います。
今もまだ微妙に喉が痛かったりだるかったりします...逃げ切りたかった(ノД`)・゜・。
みちさんもどうぞお気をつけてください☆
by めりー (2022-09-23 23:55)
★ぼんぼちぼちぼちさん
ありがとうございます。実際に起こることはいつも私の予想を超えてくるなぁと思いました。
こんな病気が流行らなければもっと楽しいこともいっぱいできたのに
ロスタイムばかりが膨らんで悲しいです。
回復したのでまたこれからも気をつけていこうと思います☆
by めりー (2022-09-24 00:01)
★リンさん
ありがとうございます。ある日突然起こるものですよね。
父の入院療養の時は延命処置についての家族の意向を聞かれました。
高齢者が入院するということはそういうことの見解を求められるんだと知りました。
私はほぼ回復しましたが、ちょっと疲れやすかったり喉が痛かったりします。
娘も若くても結構辛そうで、いまだに嗅覚がまだ少し違和感があるらしいです。
by めりー (2022-09-24 00:07)
罹患すると本当に大変なのですね。
同居の家族が多いほど制約もあって
でも、主婦は何があっても
普段やってることは、やらないといけないのですね。
私は、パニックで何もできないかもしれないです。
違和感が早く緩和されるとよいですね。
by Rchoose19 (2022-09-27 22:17)
★Rchoose19さん
ありがとうございます。
そろそろ一カ月になるのですが、ようやく倦怠感や喉の痛みなど落ち着いてきました。
娘も嗅覚障害が残っていたようですがよくなってきました。
父も咳や痰がありましたが、だんだんおさまってきました。
制度がかわって今後はみんなラインで健康観察のやり取りをするようになるようですが、
具合が悪くなり始めが一番辛いのに、スマホを操作する余裕があるのか?と疑問です。
by めりー (2022-09-27 23:49)